ハーモニカ紳士がマスクをかぶる意味。

ただのチキン  自分の顔は選べない。「ランダム」で決められるという「運のみ」な可能性が一番高い。 仮に、生まれる前に自分が「この顔」と決めていたとしても、 それを自分が覚えていないのなら、自分ではない誰かによって選んで決められたという事になり、自分で選んだ事にはならない。

マスクは選べる。 ゲームやネットでいうところの「アバター」や「プロフィール画像」である。 自分で選んで自分の責任で自分で決めたものである。 容姿に関して「運のみ」という要素を限りなく"無"にすることができる。

中学生時代の文化祭で他のクラスが出し物で「劇」をやっていました。
その中でウルトラマンのマスクをかぶっているシーンがあって、それ見て大爆笑していたのがマスクへの憧れの始まりだったように思います。
また、昔テレビの「めちゃイケ」で岡村がかぶっていた大仏のマスクにも 強いインパクトと憧れを感じました。
それ以降、仮面やマスクを付けているキャラやアーティスト、お祭りや歴史的行事(なまはげ、パーントゥ、獅子舞、他)、映画泥棒、きゃりーぱみゅぱみゅ のPVに出てくるキャラやバックダンサーなど、面や被り物を見ると、
とにかく「奇妙さ」の中に溢れる「かっこよさ」や憧れを感じ、いつしか自分もそちら側の存在になりたいとまで思うようになってきました。
また、夢と魔法の王国(ディズニー)の民たち、「ガチャピン」や「ゆるキャラ」をはじめとする、見ていて中に入っている人に全く意識が向かないキャラクターたちにも魅力を感じます。

それらが元ではありましたが、
今は「生まれ持った容姿によるハンデをゼロにすることが出来る」という理由も込めています。

ハーモニカ紳士も容姿は良いほうではないです。「微妙」という言葉がよく似合うと自負しています。
ですがそんな自分でも、さすがにこの容姿は厳しい、自分が もしこの容姿で生まれていたら果たしてどうやって異性と親しくなることができようか・・という人もこれまで見てきました。そしてそれを決める要素は 100%「運」だという事を、当たり前のようで意外と気付けていないものだという事も悟りました。
容姿に恵まれている人、恵まれなかった人(特に女性)と その世間全般における待遇の格差を見るたびに、
「悔しさ」というものを、昔は個人としての妬み的な「悔しさ」だったのですが 徐々にいつしかその事象自体への悔しさを感じるようになってきました。

「マスク、お面、被り物」は生まれ持った容姿のメリットもデメリットも"全て帳消しにしてくれる"「魔法のアイテム」または「諸刃の剣な魔術アイテム」です。
これでもし一般的に「顔出しをする」分野で成功しても、成功できなくても、"生まれ持った容姿"とは 関係ないと言う事ができます。

あと 顔出ししていない事に対して「チキン(日本語で言うところの"ビビり" "臆病者"の意味)」という感情も持ってしまう傾向があると思いますが、「死ぬかもしれない」と感じながらの登山も何度かした自分と、それをせず安全なルートでの登山のみを心がけている人たちを比べてその人たちを「チキン」だと特に思わない、夜に一人でお墓参りに行く自分が、昼間にしかお墓参りに行こうとしない人を「チキン」だとも思わない、その他似た様な事柄から、顔出ししない事も決して「チキン」ではないと思うようになりました。
「怖い」「怖くない」ではなく、「したい」「したくない」、「嫌」「(そんなに)嫌じゃない」という感覚が近いのかもしれません。

また、容姿に関する事の「整形手術」について、
昔は「生まれ持った自分の体を人工的に変える事は道徳的にいけない」という無意識の気持ちがありましたが、
現在の時点では"完全肯定派"で、特に容姿(顔)が恵まれなかったという人は する価値は限りなく高く、
それでこれまで暗い人生だったという人に希望の光が差すのなら、ぜひ すぐにでもすべきだと思っています。
ですが、歯の矯正も含め健康保険は適用されず 費用がやはり大きな問題になってきます。
一般に「お金持ち」と言えるくらいでないと余裕を持った予算内で出来ない可能性も高く、
国に健康保険の受け入れや補助、NPO団体などが出来たりしてくれないかと思っています。

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